約10年間、年に1回、女子大生に「家族」をテーマに人権講座を行っている。
家族といっても、そこにはさまざまな切口が存在する。
これから大人社会の一員となる彼女たちに、自分ごととして
「家族」を考えてもらう時間にしたいと毎年試行錯誤している。
授業の導入に、「家族」という言葉でイメージする言葉を全員に発表してもらう。
それぞれの家族の状況はさまざまで、「安心」や「味方」だけではなく、
「嫌い」「束縛」など多様なイメージが存在することを確認することから始まる。
「子ども」「母親」「父親」といった役割規範。
制度や社会状況が、家族というコミュニティの中に及ぼす影響。
多様な家族の現実、もうすでに存在しないはずの「家制度」という見えない呪縛。
映画や報道、様々な情報の中に「家族愛」が組み込まれているわけだが、
実際の家族の状況は、そんなに愛であふれた関係ばかりではない。
子どもは親を選べないし、親もまた子どもの資質は選べない。
唯一選べるのは、夫や妻といったパートナーだけなのだが、
その関係の中でさえ、支配構造が入り込んでくる。
好きになれない母親に対して、自分も「母親役割」を
押し付けていたのかもしれない。
母子家庭で育ち、母に対して「母親」以外の生き方を
受け入れていなかったことに気づき、これからは一人の女性として
生きる母を応援したい。
そして、自分が親になった時、母親以外の姿を子どもに見せていきたい。
と話した学生。
学生たちの言葉から、私もいろいろな気づきと元気をもらう。
授業や講座の前は、その責任からいつも気が重くなる。
でも、こうやって返ってくる言葉から、やらせてもらえてよかったって思う。
2014年度の授業ではとくにその思いを強く持った。
<もどってきた感想用紙より>
「家族の中にいて、親に養ってもらっている身分であったとしても、
自分には意志を示す、意見を主張する権利があるのだということ」
「自分も母はこうあるべきだ、という考えを持っていたので、
それを母に押し付けている自分がいました。」
「社会が悪かったり、何かができなかったりすることは、
決して子どものせいではなく、親・大人のせいと聞き、
何だかほっとしました。」
「自分であまり自分のことをののしったりするのは、
自分が他の人をののしることと同じだと思った。」
「もし、今家族で何か問題を抱えている人がいたとしても、
それはあなた自身(一人だけ)の問題ではない。
親は子どもを選べない、それと同様に子どもも親を選べない。
だからこそ、すごく偶然の出会いの中で一つの家族が形成されいる。
一人ひとり、人権を持っていて、もちろんだからこそ、親も悩んだり考えたりする。
世の中、どんなことでも、人がつくっていく。
だからこそ、こわれることも、簡単。
だけど、つくり上げることもできる。
しかし、何でも変えられると思わない限り、変えることはできないということを感じた。」
彼女たちのこれからの人生の幸せな選択を願って。。。